ジムはやり方は、おのれを主張して筋を通すという点で、きわめて西欧的です。


わたしとリチャードは40円でトラブルに巻きこまれるのはいやだから、テーブル・チャージだと思って支払った。


やがて、ほんとうに警官がやってきた。


どうなるものかと成り行きを見守っていると、その警官は微笑みながら両者のいいぶんをきいています。


彼はきき終えるやジムのほうにむきなおると、丁重にいった。


「それは私のポケット・マネーで払いましょう」ポリスが主人に10コボ握らせてケリとなりました。


こうなると、なにかジムの心のせまさだけが印象に残り、あとあじが悪かった。


それにしてもジムとくらべ、対等の英語力がないにもかかわらず、主人側の態度は「歩もひかず、じつに堂どうとしていた、ジムが警察沙汰にまでしたのは、白人の威喝で彼らが折れると思ったことが原因でしょう。


しかし彼らは、ガンとして自説を曲げない。


そのままではジムのプライドが許さないから、ポリスをよぶはめになった、というのがことの顛末だ。


その意識の底には、黒人への優越感がちらつく。


リチャードとわたしは白人の威光をかさにきたようなジムの怒り方に、少々疑問を感じながらみていました。


すぐに主人はやってきました。


あやまって、そのままひきさがるのかと思っていると、なんと、彼は一歩もひかず、ボーイがいったのと同じことを主張した。


まさに殴りあい寸前。


ポリスをよべ、おうよんでやるぞ、ということになってしまった。


わたしとリチャードはそのやりとりをかたわらでみていたのだが、リチャードがややあきれ顔で耳うちした。


「たった10コボのことで警察沙汰とは・・・。いったいジムはなんだっていうんだい。オレはどっちでもいいよ」


リチャードのいうところは、きわめて日本的だ。


まあまあ、それっぽっちのことで目くじらを立てるな、というところ。



昼食をとりに、とある田舎のレストランに三人で立ち寄ったときのことです。


はじめわれわれは地元の人が食べている、あまりきれいとはいえない場所に席をとった。


するとボーイは、ふかふかのソファーがおいてある隣室にわれわれを招いてくれました。


食べ終わって料金をきくと、メニューより一人当たり10コボ(40円)高いのだ。


ジムはボーイにどういうわけなんだ、と居丈高につめよる。


「こっちのほうが部屋がいいので場所代です。わたしはあんた方に快適なところで食べてもらいたかったもんで・・・」ジムは真っ赤になって、まくしたてる。


「われわれはなにもいい部屋へ通してくれなどと、頼んだ覚えはない。あんたがこっちへこいというからきたまでだ。むこうの部屋でも十分だよ。あんたはわれわれが外人だからボルのでしょう。主人をよべ、主人を!」


日本の三倍弱の国土面積に、8000万の人口をもつナイジェリアは、アフリカの大国です。


石油などの地下資源にも恵まれています。


国内は248もの部族に分かれ、部族間の抗争ははげしい。


この国では1970年、ビアフラの内紛で200万もの餓死者をだしたが、その直接の原因がイボ族の独立運動にあったことは、よく知られています。


ガーナで知りあったアメリカ人ジムとナイジェリア各地を旅行した。


そのほとんどがヒッチハイクだ。


北部の町カノから、やはり西アフリカを旅行中のアメリカ人リチャードのランド・ローバー(英国製の四輪駆動車)に便乗させてもらった。

『亡国のイージス』


少なくとも05年の日本で公開する限り、公共に対して作品を発信する立場にある者として、我々は本作に託された「日本人と戦争」という主題をオミットする選択肢を端から持ち合わせていなかった。


もっとやりようはあった、とする意見は真摯に受け止めよう。


が、その上で、このこ時勢に敢えて「どうよη」と叫んだ我々の愚直さは、今後十年の鑑賞に耐える重みを勝ち得たと信じたい。


興行の現実を見据えつつも、さらに高く、より遠くへ。


一年間の狂騒を経て、最後に残ったその"欲"が、本作のDVDを足場に胎動し始めている今日この頃・・・。


『亡国のイージス』


福井原作の特徴として、ストーリーとドラマの両方が有機的に絡みあっている点を挙げた。


どちらを捨てても成り立たず、両方を描けば二時間強の映画には収まらない。


それゆえ、どちらか一方に焦点を当てる方法が編み出され、「終戦」という状況を単純化してドラマに寄り添った結果、『終戦のローレライ』は『ローレライ』になったのだ、と。


その論法に当てはめるなら、本作は「亡国」という状況(主題)に焦点を当て、ドラマの飛距離を縮めた映画だと言うことができる。


どちらの方法が正しいのか、どちらが原作に忠実なのかという話ではなく、福井原作を映画にコンバートする上で、『ローレライ』と本作はまさにA面B面の関係にあります。


『亡国のイージス』


原作が発表された年に較べて、描かれた主題がより切実な重みを持つに至った時代の推移。


全スタッフを始め、撮影に全面協力した防衛庁・海上自衛隊までがその重みを受け止め、誠意を振り絞ってフィルムを完成させた経緯。


それらの現実を取り込んだ時、映画『亡国のイージス』は必然的に重たい、関わった人問全員の「どうよ19"」という熱が詰まった作品として世に現れることになった。


オールスターのスペクタクル・アクションという体裁を取りながら、期せずして時代の証人のような役割を背負わされたと言ってもいい。


今を生きるすべての人に"対話"を求める、正真正銘の"作品"として。


『亡国のイージス』


「こういうものなのだよ、君い」と嵩にかかった物言いをしてくる作品にも感心しない。


ま、「どうよー?"」の中身があまりにも幼かったり、自己陶酔しちゃってるだけの作品というのも困ったものなんだけど、もっと最悪なのは「おれ、こういうの好きなんだあ」と自己陶酔を通り越し、ファンの立ち位置で作られてしまっている作品だったりする。


どれとは言わないが、最近この手の作品が多い。


特定のファンとのみ向き合い、現実世界とも、自分自身とさえも向き合っていない作品というか。


無論、そこには作り手の貫徹動機などありはしないから、ストーリーはオマージュと称した模倣を実現するためだけに組み立てられ、それを見てクスクス笑いあっている作り手とファンの問でのみ対話が成立している気色悪さ。


いや、そんな作品がそれなりの数字を稼いでいるのなら、「そんなもんでしょ」という気分が受け手全般に敷術し、物作りの世界を地盤沈下させているということなのだから、これは由々しきことなのです。


そうした状況に一石を投じるべく・・・という流れならきれいに収まるのだが、決してそういうわけではない。


高速で動く密室が、人間の皮をはいでいきます。


車の密室性、とくに外から見えずに外を覗けるという特徴が、車の中の人間を強気にさせます。


しかし、車にはもう一つ大きな特徴があります。


それは、自動車は生身の人間の能力ではとても不可能な速度で移動しているという点だ。


通常時速4キロくらいで歩いている人が、その10倍、20倍のスピードで路上の密室を操っていれば、その人をある異常な心と体に追いやることは、容易に想像できるでしょう。


少なくとも、いつも以上の緊張状態になることは確かです。


合宿免許では、同乗者がいるので、また違った緊張感ですが^^


『亡国のイージス』


映画に限らず、作品と呼ばれるすべてのものは、作り手の「どうよη」という気迫が伝わってナンボだと思っています。


「おれはこう思うんだけど、どうよ19"」とか、「おもしろいっしょ?どうよー7"」とか。


主題との格闘の中で紡ぎ出される坤吟、飽くなき娯楽追求精神の発露が熱になり、受け手の中に眠る熱を共振させた時、その作品は時聞をかけて鑑賞するに値する力を得る。


ようは受け手との問に"対話"を成立させる作品こそ、わたし的には「観て(読んで)得した」と思える作品というわけだ。


だから、どんなにテクニックが優れていても、作り手の「こんなもんでしょ」という気分しか伝わってこない作品には食指が動かない。

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